
中高生の暴行動画が相次ぐ中、さらに年齢の低い小学生が大阪府内で被害に遭う深刻な動画が拡散され、大炎上している。こども家庭庁が示した対策はなぜここまで批判を浴びているのか。行政不信と未成年暴力が露呈した構造的な問題を浮き彫りにする。
中高生から小学生へ 暴行動画が示した未成年暴力の低年齢化
中高生による暴行動画が全国各地で拡散し、教育現場への不信が積み重なってきた。その延長線上で、さらに年齢の低い子供が被害者となる映像がSNS上に現れた。大阪で、中学生とみられる複数の人物が小学生一人に暴行を加え、海に突き落とす様子を捉えた動画である。この動画の撮影時期は不明とされている。
動画は暴露系アカウントとして知られるDEATHDOL NOTEによって拡散され、Xでは瞬く間に広がった。被害者が酸欠状態で溺れかけ水中でもがく場面では、加害者側の笑い声や「やばい、やばい」「警察来た」といった声が確認できる。恐怖やためらいよりも、状況を軽く受け止めている空気が色濃く漂っていた。
重要なのは、この動画が「異例の出来事」としてではなく、「また一つ出てきた暴行動画」として受け止められている点だ。未成年による暴力は抑止されないまま常態化し、しかも被害の対象は中高生から小学生へと下りてきている。教育現場が掲げてきた早期発見や指導による解決が、現実には機能していないことが浮き彫りになった。
こども家庭庁が打ち出した「対策」削除偏重が露呈させた名前だけ立派な中身の空洞
相次ぐ未成年の暴行動画拡散を受け、こども家庭庁は16日、関係省庁との緊急会議を開き、「関係省庁が一丸となり、緊張感をもって取り組むことが重要だ」として対策を取りまとめた。文部科学省には児童生徒へのアンケート調査やスクールカウンセラーによる面談の実施を求め、総務省はSNS事業者に対し、動画や誹謗中傷が投稿・拡散された際の速やかな削除対応を要請するとしている。
だが、この「対策」が世論の納得を得ていないのは明らかだ。今回の動画拡散は、単なるSNSモラルの問題ではない。教育現場におけるいじめや暴力の認知の甘さ、そして解決力への不信が長年積み重なった結果として噴出している。
暴力が起きても学校内で十分に把握されず、把握されても踏み込んだ対応が取られない。その現実が、「公式ルートでは何も変わらない」という諦めを生み、動画のネット投稿という手段を選ばせているとの見方は根強い。
アンケート調査やカウンセラー面談は、これまでも繰り返し実施されてきた施策だ。それでも暴行動画は減らず、むしろ被害は低年齢化し、内容も過激化している。今回の対策を実施したところで、動画拡散という現象そのものを抑止できるのかという疑問が噴き出すのは当然だ。
とりわけ反発を招いているのが、削除要請を前面に押し出した対応である。事実に反した誹謗中傷について削除を求めること自体に異論は少ない。しかし、実際に起きた暴力行為を捉えた動画まで一律に消そうとする姿勢は、「自分たちの施策に責任を感じていない」と受け止められかねない。
学校も教育委員会も、所管省庁も、校内暴力に対して適切に対処してこなかった。その評価が社会に共有されている中で、削除だけを求める対応は、問題の根本から目を背けているように映る。
削除は炎上対策にはなっても、暴力を止める対策ではない。むしろ「隠蔽」「責任回避」という印象を強め、行政への不信を決定的なものにしている。この構図こそが、こども家庭庁の「緊急対策」が名前だけ立派で中身が伴っていないと批判される最大の理由である。
「相談ではなく解決を」被害者感情と完全に乖離した行政対応
世間の批判が強い理由は明白だ。いじめや暴力の被害者が本当に求めているのは、話を聞いてもらうことではない。今まさに起きている暴力を止め、加害者に現実の責任を負わせることである。
スクールカウンセラーによる面談やアンケート調査は、これまでも実施されてきた。それでも被害は繰り返され、動画という形で外部に流出している。この事実が示すのは、教育現場のいじめ認知力と解決力に対する深刻な不満だ。
にもかかわらず、こども家庭庁の対策は「相談」「傾聴」を前提とした受け身の姿勢にとどまる。被害者感情と行政対応の間に横たわる溝は、もはや埋めがたいほど広がっている。
大阪の暴行動画が示した一線越えの危険性
今回、大阪で拡散された暴行動画が突き付けた本質は、未成年による暴力が教育的指導や校内処理の枠を完全に逸脱した地点に達しているという事実だ。
映像に映っているのは、中学生とみられる複数の人物が小学生一人を取り囲み、首を絞めるような行為を加え、その後、海へ突き落とす場面である。被害者は水中でもがき、明らかに溺れかけている。にもかかわらず、周囲から聞こえてくるのは制止ではなく、笑い声と「やばい」「警察来た」という軽い言葉だった。
首を絞め、海に突き落とす行為は、一般社会では即座に生命身体への重大な危険を伴う暴力として扱われる。結果として命が助かったかどうかではなく、「死に至ってもおかしくない行為」を実行している点が決定的だ。ネット上で「殺人未遂だ」との声が相次いだのは、感情論ではない。
この動画が「一線を越えた」と受け止められたのは、暴力そのものだけでなく、それが笑いながら撮影・共有されている点にある。暴力の娯楽化は、教育論では対処できない段階に入っている。
デスドルノート拡散とSNS炎上 「こども家庭庁どうするのか」という怒り
大阪で拡散された暴行動画を巡り、SNS上では怒りと失望が一気に噴き出した。
動画を拡散したのは暴露系アカウントとして知られるDEATHDOL NOTEだが、是非論を超えて世論の関心は「なぜここまで放置されてきたのか」という点に集中している。
Xでは「殺人未遂ではないか」「なぜ警察が動かない」「学校は何をしていたのか」といった声が相次ぎ、批判の矛先は次第に行政へと向かった。
炎上は、単なる感情的反発にとどまっていない。
SNS上では、チョークスリーパーを行ったとされる加害者の氏名や在籍校名、さらに父親が会社経営者であることや社名までが特定されたとする情報が出回り、拡散される事態に発展している。真偽未確認の情報も含まれる中で、個人だけでなく家族や関係先にまで矛先が及ぶ、私刑的とも言える空気が形成されつつある。
こうした過激化の背景には、「公式ルートでは何も変わらない」という根深い諦めがある。
暴露系YouTuberのコレコレはXで、新たな情報として、相談を受けたいじめ撲滅委員会のデスドルに情報提供したと投稿した。動画は令和7年11月頃の寒い時期に撮影されたとの説明や、加害者とされる人物らが別の迷惑行為や危険行為を撮影した動画を投稿していたとの指摘も示され、議論はさらに加速している。
一方で、学校側が動画の拡散を避ける対応に力を注いでいたとの主張もあり、事実関係の解明が急がれる。にもかかわらず、行政の対応は動画削除要請が前面に立ち、経緯や責任の所在について十分な説明は示されていない。
その結果、「問題を消そうとしているだけではないか」「責任から逃げているように見える」との反発が強まっている。
SNS炎上の本質は、過激な言葉や特定行為そのものではない。暴力を止められなかった側が、拡散だけを問題視する構図への不信である。実名や学校名、家族や勤務先にまで情報が及ぶ状況は極めて危険だが、その土壌を生んだのは、迅速で透明性のある対応を示せなかった教育現場と行政だという認識が広がっている。
問われているのは一貫して同じだ。こども家庭庁は、この現実を前に何を変えるのか。削除と注意喚起だけでは、怒りも私刑化も止まらない。



