
“日本フリースタイル界のレジェンド”に何が?真偽は未だ不明→11月8日公式Xより発表
日本のラップバトル文化を牽引してきたラッパー晋平太(しんぺいた)が「亡くなった」とする情報が、11月5日未明からSNS上で急速に広まっている。
SNSでは、同業ラッパーたちが「R.I.P.(Rest in Peace)」「信じられない」「帰ってこい晋平太」などの言葉とともに晋平太の写真を投稿。ファンコミュニティにも動揺が走っている。
しかし、所属事務所や公式サイトからの発表は現時点で一切ない。これはあくまで「未確認情報」であり、真偽はいまだ不明のままだ。
→11月8日、晋平太公式Xにて親族一同より晋平太死去に関する声明が発表された。
葬儀は親族のみで執り行われ、お別れの会などは開催されないことが分かった。
以下、全文。
「一部SNSや報道で取り上げられております件につきまして、改めてご報告申し上げます。先日、晋平太が永眠いたしましたことを、ここにお知らせいたします。
生前、晋平太を支えてくださった関係者の皆さま、そして応援してくださったファンの皆さまに心より御礼申し上げます。
これまで私どもの意向により公表を控えておりましたが、多くの方々からご心配の声をいただき、このたびご報告させていただく運びとなりました。
このような形でのご報告となりましたこと、心よりお詫び申し上げます。
晋平太は、HIPHOPを愛し、これに全力を注ぎ、生き抜いた人生でした。
彼が紡いだ言葉と思いが、皆さまの心に少しでも残ってくれたなら、遺族としては嬉しいことにございます。
葬儀は近親者のみで静かに執り行いました。皆さまに直接お別れの機会をご用意できなかったこと、心よりお詫び申し上げます。何卒ご理解いただけますと幸いです。
なお、晋平太は2024年1月31日以降、特定の事務所には所属せず無所属で活動しておりました。そのため、前事務所へのお問い合わせは、皆さまや関係者の方々の混乱を避けるためにも、お控えいただけますよう、遺族一同大変ありがたく存じます。
最後に、この投稿をもちまして本アカウントの更新は終了し、近日中に閉鎖をさせていただきます。
これまでの温かいご支援に、改めて深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。親族一同」
「R.I.P.晋平太」広がる追悼の輪、ラッパー仲間が投稿
5日未明から、ラッパーの仲間たちが次々とSNSで彼への言葉を投稿している。晋平太の名前を明かしての発言もあれば、匿名の形での“意味深投稿”も多い。一部の投稿には、追悼音源のフレーズやステージ写真が添えられており、ファンの間では「何かあったのか」「公式発表を待つべき」と不安と憶測が交錯している。
事の発端は、5日に実業家のZ李がX(旧Twitter)にて「晋平太マジで亡くなってしまったのか。SeedaとのBodyBagのアカペラとAuthorityとの戦極は神懸かってたよな。」と投稿。(現在は削除済み)
その後、札幌生まれのラッパー、札幌のギャグ男はInstagramストーリーにて、笑顔でリラックスした晋平太の写真とともに「札幌に戻ってくるのを待ってました。愛してますRIP」と添えて投稿。同じくInstagramストーリーにて歩きながら喋る動画も投稿し、「晋平太さんのことについて…俺たちずっと知ってたんだけど言わないでおこうと思ってて、でも誰かがTwitterかなんかで言っちゃったみたいで」「俺に一番最初にラップバトル出ろって言ってくれたのが晋平太さんで、最初の時から応援してくれて…」などと、感謝と遺憾の意を語った。
幾度もラップバトルを重ねた盟友・呂布カルマはXにて、晋平太とのラップバトルやプライベートでの仲睦まじい写真とともに「何やってんだよ馬鹿野郎が」と投稿。晋平太の身近な友人からの追悼と思しき投稿とあって、ファンの間にも衝撃が走っている。
また、ZeebraはXにて「俺はオフィシャルな話を聞くまでは本当だと思いたくない。」と投稿するなど、同業ラッパーたちの間でも公式声明が出るまで慎重な姿勢を貫く者もおり、今回の件に対するスタンスが分かれている。
→11月8日、晋平太公式Xにて親族一同より晋平太死去に関する声明が発表された。
これによりさらに多くの関係者・ファンから、感謝や追悼の投稿がされている。
「MCバトルの代名詞」──フリースタイルの時代を築いた男
晋平太は1983年生まれ、東京都東村山市出身。 2000年代後半から日本のMCバトル界に台頭し、韻の精度と切れ味ある即興力で一躍トップランカーに。
2005年に『B-BOY PARK MC BATTLE』で優勝、2010年・2011年に『ULTIMATE MC BATTLE』(UMB)で2連覇。2017年に『フリースタイルダンジョン』で番組史上初の完全制覇を達成。ちなみに『ULTIMATE MC BATTLE』2010年大会の1回戦では、今や実力は折り紙付きの世界的人気ユニットCreepy NutsのR-指定と戦っており、再延長まで続く激戦の末、晋平太が勝利した。このような数々の活躍を通じてフリースタイルラップ界隈を盛り上げ、「MCバトル=文化」としての市民権を押し上げた立役者のひとりだった。
ステージ上では対戦相手を圧倒するアグレッシブな姿勢が持ち味だが、普段の彼は冷静で知的。「ラップは言葉の格闘技」「誰でも参加できる民主的な表現」という哲学を掲げ、ラップ普及の旗手としても知られていた。
一方で語られていた“心の闇” 躁鬱の噂と活動休止
そんな晋平太には、数年前から体調不良とメンタルの不調を抱えていたとの報道もある。2023年11月には「TOSHIMA STREET FES 2023」への出演をキャンセル。本人がSNSで「体調不良のため辞退します」と謝罪した。
また、一部のファンサイトや動画コメントでは、「双極性障害(躁鬱病)を患っていた」との記述もある。特に自身のYouTubeチャンネル『Yo!晋平太だぜ Raps』内の動画では、ギャグやノリでは片付けにくいほどの荒々しい態度および言動を取ることも多く、ファンからは「これは躁モードの晋平太」「晋平太、ゆっくり休め」など、かねてより心配の声が上がっていた。ただし、本人や事務所から公式に病名が発表されていたわけではなく、あくまで噂レベルの情報だ。
精神的な浮き沈みと音楽活動のバランスを取りながら、YouTubeチャンネルやバトルイベントなどを断続的に継続していたが、2024年以降は露出が減少。SNS更新の途絶が「心配」「音信不通では?」と話題になることも多かった。
言葉で生き、言葉で闘った男、晋平太
晋平太という男は、言葉で生き、言葉で闘い抜いたラッパーだった。即興で相手をねじ伏せるだけでなく、言葉に魂を込めることに誰よりもこだわっていた。その一つひとつのバトルは、単なる競技ではなく「生き様の証」だったのだろう。
晩年は体調不良や精神的な不調に悩まされながらも、SNSやステージで発信を続けていた。それは、マイクを握ることで存在証明をし続ける“表現者の宿命”でもあった。
突然の訃報は、ヒップホップ界のみならず、音楽を愛するすべての人に衝撃を与えた。しかし、彼が残した無数のパンチラインと熱いバトルの記憶は、今なお多くのファンの中で生き続けている。マイクを置いても、晋平太という名前が消えることはない。彼が築いた「日本語ラップの魂」は、次の世代のラッパーたちが引き継いでいくだろう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。



