
茨城県境町で、規格外や余剰野菜を介護食「ムース食」に加工する新施設の建設が始まった。給食事業大手・LEOC(レオック)が運営を担い、農家の所得向上と食品ロス削減を同時に実現する取り組みとして注目を集めている。全国的にも珍しい試みは、地域農業の未来と高齢者福祉を支える新たなモデルケースとなりそうだ。
ムース食が支える「食べる喜び」
介護食の代表格として知られる「ムース食」は、食材をすり潰し、とろみを加えて再び元の食材に近い形に整える調理法である。単なるペースト状とは異なり、見た目や口当たりに工夫が施されているため、食べる人に「料理を味わう喜び」をもたらすのが特徴だ。
嚥下障害を抱える人にとって、日常の食事は窒息や誤嚥性肺炎のリスクと常に隣り合わせにある。特に高齢化が進む日本では、この課題が介護現場で深刻化している。
厚生労働省の統計によれば、高齢者の死因の上位には誤嚥性肺炎が含まれており、安全かつ美味しい介護食の提供は生命を守る医療的ケアにも直結する。
こうした背景の中、ムース食は病院や特別養護老人ホーム、デイサービス施設などで幅広く採用されている。栄養バランスを保ちながら、視覚的にも楽しめる食事として支持される理由はそこにある。今回境町で整備される施設は、この「食べる喜び」をさらに多くの人へ届ける拠点となることが期待されている。
廃棄野菜を「資源」に変える仕組み
境町が整備する「境町農作物6次化・SDGs推進拠点施設」では、これまで廃棄されてきた野菜が新たな資源として再生される。規格外の大根や曲がったキュウリ、出荷時に切り落とされるキャベツの外葉など、食べられるにもかかわらず市場には出回らなかった部分が対象だ。
LEOCは農家からこうした野菜を買い取り、ペースト状に加工したうえでムース食の原材料とする。農家にとっては廃棄コストを削減でき、さらに収入源が増える。これまで「捨てるしかなかったもの」が「売れるもの」に変わる仕組みは、農業経営の安定化に直結する。
境町の橋本正裕町長は起工式で「農業が町の主要産業である以上、持続的な仕組みを整える必要がある。この施設はその象徴になる」と語った。LEOCの田中源人社長も「廃棄を減らすことが農家の利益となり、社会課題の解決につながる」と強調する。農業、福祉、環境が有機的に結びついた循環型のモデルがここに生まれようとしている。
茨城県の食品ロス削減の流れ
全国有数の農業県である茨城は、野菜の生産量で常に上位に名を連ねる。恵まれた生産基盤を持つ反面、規格外や余剰野菜の廃棄量も膨大だ。こうした現状に対応するため、県は2021年に「いばらきフードロス削減プロジェクト」を立ち上げ、食品関連事業者と連携しながら取り組みを加速させてきた。
県の推計によれば、事業系食品ロス量は2019年の6.6万~9.8万トンから、2023年には5.1万~7.7万トンへと減少。数値としても確実な効果が出ている。ホテルのビュッフェで残った食材を子ども食堂へ提供する事例や、スーパーの売れ残りをフードバンクに回す仕組みなど、多様な実践が積み重ねられてきた。
ただし、農家レベルでの廃棄削減は難しく、具体的な統計も存在しないのが現状だ。その中で境町の取り組みは、農業生産と福祉の現場を直結させる稀有なモデルとして注目されている。県環境政策課も「農家に直接メリットを還元する点で非常に意義深い」と評価を寄せる。
背景にある高齢化社会と介護食市場の拡大
高齢化が急速に進む日本社会において、介護食市場は拡大の一途をたどっている。富士経済の調査によれば、2022年の国内介護食市場は約2,000億円規模に達し、今後も増加が見込まれている。特に「見た目が美しい」「家庭で簡単に利用できる」といった付加価値が重視される傾向が強まっている。
境町の施設で生産されるムース食は、廃棄野菜を活用しつつも高品質を維持する点で市場のニーズに合致している。農業と福祉の両面に立脚した製品は、単なる介護食を超え、社会的意義を持った商品として評価される可能性が高い。
ここで注目すべきは、この事業を担うLEOCの存在だ。LEOCは1983年創業の給食事業会社で、病院・学校・企業食堂から高級レストランまで幅広い食事サービスを展開している。ONODERAグループの一員であり、グループ全体では高級回転寿司店「ONODERA」や冷凍寿司事業なども手がける。全国2,800カ所以上の事業所で培った調理技術と衛生管理のノウハウは、介護食の分野でも強みとなる。単に「食品を作る」だけではなく、「命を支える食」を提供する企業姿勢が、今回の境町プロジェクトを後押ししている。
さらに、介護施設や病院だけでなく、在宅介護世帯への流通が進めば「家庭での食の安心」を支えるインフラともなり得る。市場拡大と社会的要請が交錯する中、境町の試みは全国的なモデルへと進化する余地を秘めている。
境町から全国へ広がるか
今回の事業は、境町が国の補助金と地方交付税を活用して施設を建設し、LEOCに運営を委ねる形を取る。町にとっては賃貸料が収入となり、財政面でも持続可能な仕組みが整えられている。行政と民間企業が役割を分担する官民連携の形は、他自治体にとっても参考となる。
全国的に食品ロス削減や高齢化対応が課題となる中で、「境町モデル」は新たな道筋を示すものだ。
今後、他の地方都市が同様の取り組みを導入すれば、廃棄野菜が「地域資源」として再生される事例は広がっていくだろう。「食べられるのに捨てられる」現実を逆手に取り、命を支える食に変える。この挑戦が地方創生と持続可能な社会づくりの鍵となるか、今後の展開に注目が集まっている。



